エロゲ、ノベルゲ英語学習最強ツール仮説

エロゲ、ノベルゲ好きオタクの語学実験記

雨のマージナル 英語でプレイしてみた感想

3本目の英語エロゲ、ノベルゲ:雨のマージナルクリアしました。

 

Steamストアページ

 

評価
満足度 75
英文難易度 A(簡単)

 

 

 

 

はじめに

1本目のISLANDで身の程を知り、だんだんプレイ時間が短いものに流れている感はありますが、それはさておき3本目はステージ☆ななの作品『雨のマージナル』をチョイスしました。片岡ともさんは私的に大好きなライターの一人です。ナルキッソスなどに比べると今作の評価は少々辛口になるのですが、それでも見どころは確かにありました。ナルキッソスとの共通点は理不尽へどう向き合うかをテーマにしている点でしょう。一方で相違点は「抽象度」にあるかと思います。この点は後程の感想にて掘り下げてみようと思います。


語学的観点からの雑感

非常に読みやすい英文です。
その理由は文章が短い、文法が簡単、語彙も平易と三拍子揃っているからです。
そしてこれはひとえに片岡ともさんのスタイルによるものでしょう。
わかり易いプロットを飾らない文体で伝える彼一流のsimplicityは当然英語でも健在なのです(…もっとも英語だと若干本来の日本語ならではの良さは減じている気がしますが)。話全体の尺も短いですし、英語でエロゲ、ノベルゲをやってみようと考えている方にはかなり入りやすい一作だと思います。

あと素人発言を許してもらえれば、文法や表現が一部なんかおかしいなと思う個所はありました。その正誤は抜きにしても、Sekai Projectの訳にしては若干英訳の質が低めな気はしました。とはいえ目くじらを立てる程ではないです。

 

 

個人用語彙メモ
cicada:セミ
作中、反省室以外において割と登場してきました。

 

ridden:rideの過去分詞形
なんてことはないただのrideの過去分詞形なのですが、よく考えたらそう頻繁にこの形を見ない気がするのは私だけでしょうか。
なぜか一瞬元の動詞までわからずゲシュタルト崩壊しました。

 

if anything:どちらかといえば、それどころか、むしろ
これは日本語でそのまま覚えるのはあまりよくないですね(究極的には全部そうかもですが)。前の文に対する言いなおし、否定、修正の感覚とともに馴染ませたいところです。

 

flagstone:敷石(床や道路の舗装用の、石やコンクリート
ひたすらその敷石が続いていく反省室の光景

 

congee:粥

凛達巫女の日々の食事

 

ablution:(清めのために水などで)洗浄すること
巫女関係その2

 

with ~ in tow:~を引っ張って、~を引き連れて
... with a child like myself in tow, it would have been all the more difficult.
(私のような子供を引き連れていたら、いっそう困難だっただろう)

 

fervent:熱烈な、熱心な
姉は凛と違って熱烈な神道の信者だった、みたいな感じで出てきました。

 

atonement:罪滅ぼし、償い
確実に覚えた単語を挙げろと言われたらこれを挙げます。

 

in service:(人に)雇われて、使われて、在職中で
他にもいくつか意味はあるのですが、今回はこの用法を学びました。作中では「雇う、使う」側は神でしたが。
As someone who was in service to God, I might be a failure, but I have never seen Him nor heard His voice.


その他気になった語彙、表現羅列
atone, whining, footman, voice(動詞), beseech, reprisal, raze, imperial court, oncoming, pitch black, spat(<spit), time out, register, ashen, stay put, deny, tattered, fog(動詞), spread-eagled, dismiss the idea, droplet, that was it, have yet to, rhyme or reason, word spread, wind up, attach a date, volition, upon someone's return(返却、帰還時に。uponやonのこの用法), aft, annihilate, hollowly, squarely, tinge(動詞), sing someone's praises, umpteenth, trip(動詞、つまづく),  w/

 

作品についての感想(ネタバレを含みます)

(未プレイの方はスクロール非推奨です)

 

 

 

 

 

 

 

さて、私は片岡ともさんのファンなのですが本作は手放しで好評価はできないです。
とはいえ必ずしも作品が悪いといった単純な話でもありません。本作は、カタルシス、(明確に指向された)考察性、キャラや萌えといった外在化しやすい部分で勝負しているわけではなく、全体を包む雰囲気で勝負しているものだと思われます。いわゆる雰囲気ゲーと呼んでいいかと思いますが、やっかいなのはその雰囲気もまたわかりやすくない点です。作中のほとんどが、終始雨が降っている異空間を舞台にしているのですが、ストーリーの内容以上にその背後で止まない雨に対する感受で作品価値が決まってくるような、そんな印象を受ける作品なのです。したがって、作品評価も「良い!悪い!」とか、「感動した!感動しない!」といった単純な二分法や点数付けによる明確化とはそもそも相性が悪いように思います。

 

冒頭で触れましたが、ナルキッソスと本作雨のマージナルの共通部分は「理不尽にどう向きあうか」というテーマだと言えるでしょう。ただ相違点があり、それが作品の「抽象度」です。

ナルキッソスの場合、世界観と物語が非常に具体的で現実的。それに対して雨のマージナルは一言で言うならファンタジー的。ファンタジー「的」なので何から何までファンタジーであるということではないのです。あくまで作中の大部分を過ごす世界がファンタージー的な空間「反省室」であることに因ります。
この反省室は、「現実」での理不尽とその理不尽の「源」を繋ぐための舞台装置です。言い換えると理不尽によって媒介されることではじめて形をとれる非常に抽象的な世界です。もっともその理不尽の源は最後までその姿を見せません。どことなく直観的にその存在が仄めかされる「気がする」だけです。

 

本作もナルキッソスも、基本的には降りかかってきた理不尽にヒロインがもがき苦しむのですが、ヒロインはどこまでも現実的に立ち向かわざるを得ないという構造を持っているのがナルキッソスであるのに対して、非現実的に立ち向かわざるを得ないという構造を打ち出しているのが本作雨のマージナルです。
ですから主舞台である時の止まった雨の止まない「反省室」の存在は、最後まで一切現実的には説明できないような謎に包まれています。そこにいた郎女の正体も謎です。


凛達巫女が課された333年という年月、世代を超えて沈黙しなければならないという儀式は迷信の一言で片づけてもいいのかもしれませんが、本人の身に起こったこと、つまり「反省室」という舞台に移されたのは結局なぜなのか、そこにいた謎の女性郎女は何者か、本来反省室から出る場合は現実世界の元の状況に戻るはずなのに、なぜリンは違う時代に恵まれた状況で生まれ変わるようにして現実へ戻れたのか、などなど様々な謎があるわけですが、それらへの直接的な答えは一切作中で言及されません。

これに対して、ナルキッソスはとにかく話がわかりやすい。登場人物は現実を生きていますから、苦しみや問題の所在が単純です。若い身の上に理不尽に襲い掛かってきた癌、それ自体の感覚的苦しみ、人と同じことができない感情的苦しみ、そして他の人と違ってすぐに死ななければならない不平等への憤りなどはとにかく生々しくリアルです。そこに謎の世界や人物が介入する余地はありません。


一方雨のマージナルは徹底的に抽象的で曖昧です。作品を文字通り、現象的に受け取れないのです。リンはことあるごとに神に怒りをぶつけますが面白いのは決して神(であれなんであれそういった超存在)を信じていないのではないだろうという点です。姉や自分が受けてきた仕打ちの理不尽さに憤り神に失望するも、もし本当に神がいないと悟っていたなら神に向かっていかなる言葉も感情も発することはないでしょう。神とか何かそういう超存在に対して意識を向けないはずなのです。太古から人が救いを超存在に求めたのと全く同じ道理で凛はやり場のない憤りを向ける相手を超存在に求めています。本人は無意識かもしれませんが。ナルキッソスの場合、ヒロインの葛藤の結果として、つまり理不尽のはけ口としてよく神が出てきます。そこはこの雨のマージナルも同じです。しかしながらナルキッソスの場合はそんなものは実際にはいないし、たとえいようとも現実には何も影響しないというリアリティーが透徹されているのに対して、雨のマージナルの場合、反省室や郎女のような明らかな謎が現前しているため、神(のような何か)の存在感が絶えず微かに、その意味は明示されないまま付きまとってくるのです。そしてついには、その反省室から出た瞬間そこでの一切の記憶は忘れ去られるという形で非現実という現実に対する矛盾が解決されます。この境界の表現に対してどのくらい感受性に訴えてくるものがあったか、これが本作の評価になることでしょう。
非現実は現実の外側にあるため、現実からの解釈、考察、イメージを寄せ付けません。時が止まった止まない雨の世界によって現実の外側の理を垣間見せようという実に感性勝負の作品で、非常に実験的とも言えるでしょう。


一応私的な解釈というか受けた印象は、凛が受けた理不尽的な苦しみの反動としての憎しみは「反省室」にて浄化された後再び現世へと還る、というものでいわゆる仏教的な輪廻転生観の表現かなというところです。理不尽な苦しみ→怒り→憎しみ→悲しみ(雨)→浄化→現実に還るというサイクルが淡々と容赦なく繰り返され、永遠に降る雨がダウナー的無常観を象徴しているように思います。しかしそこから仏教や現世否定的なグノーシス主義と同じ結論になるどころか、むしろ逆に、「だけどやっぱり生きたい!生きるのは素晴らしいに違いないんだ!」というメッセージを発しているのが本作だと思うのです。昼間のリンの存在や、全体的にどこか明るいBGM、最後の爽やかなエンディングなど端々に理不尽を超えるための希望が見え隠れしているからです。私は凛が信じていた通りに、この作中の神を存在論的なレベルで想定するという解釈はしませんでした。反省室を作り、そこで凛を反省させようとしていた主体を神だと思い込んで意地で抵抗する凛ですが、事の実相はまた別の話であると解釈したほうが、雨の情緒が増すような気がするからです。最後まで実相は曖昧に滲んでいるからこそ雨のマージナルなんじゃないかなぁと。

 

決してわかりやすい感動がある作品ではないでしょう。
私は割と単純なので、悲劇でも喜劇でも単純で深いものが好きなため、評点も厳しめに75点としました。
でもそれは作品の点数ではなくて私の感受性能の点数なのかもしれません。