エロゲ、ノベルゲ英語学習最強ツール仮説

エロゲ、ノベルゲ好きオタクの語学実験記

語学ツールとしてのエロゲ、ノベルゲ 考

今日はエロゲ、ノベルゲ(以下ノベルゲ)を語学ツールとして捉えた時、どのように扱えばいいだろうかというテーマで考察してみたいと思います。
 
 
  1. ただ英語でノベルゲをプレイし続けるだけでいいのか。その場合、得られるものは何か?
  2. ただプレイするのではなくて気になった語彙や文法、発音などについては都度調べ、場合によっては何かに記録、登録し、その後復習をした方がいいのか?
  3. これとは別に語彙増強やリスニングなどは行った方がいいのか?
 
 
これらの疑問に向き合いながら、私なりの見解を示していこうと思います。
 
 
 
〇まず一つ目の問いを見てみましょう。
「ただ英語でノベルゲをプレイし続けるだけでいいのか。その場合、英語でノベルゲをプレイし続けることで得られるものは何か?」
 
現状の私の答えはYES!です。
これは言い換えれば、基本的に語彙や文法、発音などをノベルゲをプレイしているときに学ぼうとしてはならない、ということでもあります。
 
ではただひたすら英語でノベルゲをプレイし続けらることで得られる恩恵は何かというと、3つあります。
 
一つ目は、純粋な言語の遊び体験。英語と意味、感覚、感情、論理を直接つなぐ回路形成にノベルゲプレイが寄与してくれます。
もう少し具体的に言うと以下のような表現になるでしょう。
 
  • 語学をしているという意識から離れ、純粋に言語とコンテンツに入っていくことで、理解そのものに没頭できること
  • ひたすらその言語の中で理解しようとし続けられること。
  • わからないことにも寛容かつ柔軟に対応し、うまく気づきを引き出しながら、発見や理解にフォーカスし続けることで子供のような言語の原始的喜びに没頭できること。
 
私たちは語学と言うとテストとか勉強とか練習といったイメージを持つため、この観点はしばしば失われてしまいます。そうするとすぐにわからない語やフレーズが気になったり、本当に自分の理解があっているのかが気になり出し、日本語で調べ始めます。そのようにして生じた理解は、結局日本語をベースにした理解なので、英語で何かを直接理解することと根本的に異質なのです。(認知科学的にいうところの「スキーマ」の問題であり、語学において最も重要な概念だと言えます。詳しくお知りになりたい方は岩波新書から出ている「英語独習法」(今井むつみ著)という本の一読をおすすめ致します)。仮に英語で調べたとしても、それはそれで調べる度に非常に時間を取られ、コンテンツへのスムーズな没頭が妨げられます。ストレスも大きくなっていくでしょう。語学の習得が最も効率よく起こるのはまさに純粋にその言語での理解体験に没頭したときであるという学説があります。詳しくは本ブログの記事「当ブログについて」のところで触れていますのでそちらをご参照ください。
 
 
ちなみにその理論的根拠として引用したクラッシェン博士のサイトも参考までにご紹介します。英語ですが論文も自由に読めます。
 
このアプローチによる言語習得効果は統計が強く物語っているし、私自身経験から確信していますが、意外と多くの学習者は実践していないように思います。なぜなら私たちはこと語学となると、その語学という言葉通り、外国語を学習の対象としてのみとらえてしまいがちなため(後述しますがもちろん学習の対象としてアプローチすることも大事というか不可欠ですが)、純粋にその言語で遊んだり何かをしたりする体験を持とうという発想が出てこないからです。
 
二つ目は今の自分の語彙や文法知識を実際のコンテンツの中で確認できるということです。持っている語彙や知識が実際にどう使われるか、それをいかに多く豊富なコンテクストの中で見るかが、知識を体化させスキルに昇華していく上で重要であり、そのためには、純粋に読みまくる、聞きまくるといった形での大量インプットが不可欠です。大量インプットをするにあたって理想的なものは、没頭できるだけの興味深い内容を備え、大量の言語情報に加えてできるだけ非言語情報も豊富なコンテンツが望ましく、ノベルゲはそれをよく満たしています。
ただこの後触れますが、これは同時にノベルゲプレイとは別な形で語彙を増強しなければならないことも意味しています。ノベルゲから語彙を覚えようとしないのですからそれは必然です。いくらかは自然と記憶されるものもあるでしょうが、語彙に関しては、ノベルゲは基本的に自分がすでに学んだものを確認するための復習ツールとみなすのが妥当でしょう。
 
三つ目はモチベーションです。わからない表現があったり読むスピードに不満があったり、そもそもいまいち理解できなかった場合、自然と向上心が出ます。あるいは逆に語彙増強の成果を確認出来たり、読むスピードや理解力が上がった場合もまたモチベーションになります。
 
 
〇次に2つ目の問いを見てみましょう。
「ただプレイするのではなくて気になった語彙や文法、発音などについては都度調べ、場合によっては何かに記録し、その後復習をした方がいいのか。」
 
一つ目の質問と表裏ですね。私の答えはNO!です。
厳密にいうと別に全くダメと言うのではなく、本当に気になったものは調べたり後で復習できるようにすればいいと思います。特に自分が単語帳か何かで覚えた語が作中で使われていた場合、それを含む文は相当印象に残りやすいので、記録してもいいと思います。ただそれをやりすぎるとコンテンツに集中できなくなってしまい本末転倒となるので、基本的にはそのような勉強的利用は控えるのがいいだろうというのが現状の自分の結論です。単純に内容を理解したくて、そのためにどうしても知る必要があると思うような語を調べる場合にしても、わからないことがある度にいちいち細かく気にすると、英語で理解しよう、全体の流れや文脈を捕まえようという意識時に特有の集中力、没頭体験は消えるので注意が必要です。ですので調べるのもほどほどに押さえるのがコツです。ましてそうして調べたのを悉く覚えようとするのはNGと言っていいくらいです。
前述の通り、この試みは、コンテンツを英語と非言語情報によって理解しようとする没頭体験の持続を目的にしているためです。
確かに語彙増強やリスニング、発音の勉強や必要に応じて文法の勉強も必要なのは間違いないのですが、それらはそのための活動として別に割り切って行うほうが効率がいいのです。よって英語でノベルゲをプレイするという活動に対してできる最大の期待は英語没頭体験なのです。
 
 
そこで三つ目の問い。
「これとは別に語彙増強やリスニングなどは行った方がいいのか?」
 
これがYESとなる訳です。
ただこれについては今回のテーマではないので深追いしません。
 
 
 
では改めて、私が考えている語学法に関する結論をシンプルにまとめます。
語学活動はまず大きく二つのパートに分けるべきです。
 
一つはまさに語学と聞いた時イメージされるような活動。
語彙増強、リスニング、リーディング、文法の勉強、発音の勉強などのことです。
これらは学習行為なので必然、復習、練習、分析を伴います。
方法は各人がしっくりくるものを実践するのがいいでしょう。
 
もう一つはその言語による純粋な理解体験、あるいは没入体験とでも言いましょうか。その言語でいわば全身全霊で遊ぶという活動。
語学といった問題は完全に忘れ、ただその言語で表現される内容理解に没頭しながら、純粋でプリミティブな言語の喜びに浸ることが大事です。また「理解」を強調していますが、わからないということにも子供のように柔軟かつ寛大になるのがポイントです。理解しなければいけないという枷は解き放ち、理解と不理解を楽しみ尽くす頭の使い方をするのがコツだと思います。
理解以外だと、発見、気づき、創造、想像が理想的な状態に入るために役に立つキーワードでしょう。
 
私のようにノベルゲが好きな人にとっては、ノベルゲプレイがこの言語で遊ぶというパートのかなりを占めることになります。
 
 
以下は本記事の考察の続編です